古民家ギャラリーうした+古本カフェ便り

読書ブログなど、自分の興味のあることを書いていきたい。

昭和の青春:都会の憂鬱 佐藤春夫  

都会の憂鬱  佐藤春夫

 

新潮文庫   昭和三十一年

 

とても汚れた街角の隅に佇立している草臥れた

 

男を連想させるような作品。

 

自然主義の作品を勉強し二千円(当時)の大金を経験

 

の為に遣ってしまったが、その渚山と云う男のやろうと

 

していたことは時代の流れで時代遅れになってしまい、

 

その後、脊椎の病気で入院し、主人公、小沢峯雄の見舞い

 

に行って、対話する場面に於いて、終幕を迎える。

 

とても静かだが、荒ぶる魂を感じさせるものだ。小沢の

 

妻、瀬川瑠璃子は女優の真似事をしている。そして、浮気の

 

現場を目撃し、離婚を決意する。

 

冒頭、陽の射さない当たらない部屋の描写が延々と続き、暗く

 

じめっとした小説であることを表明していくあたり、とても

 

昭和なカオスが表現されていて、僕は好きだった。

 

言葉も現代の作家が使わないようなとてもかっこいい言葉が

 

たくさんあった。僕は辞書を片手にひと言ひと言調べて読んだが、

 

それも楽しかった。

 

(読了日 2025年3・22(土)7:25)

               (鶴岡 卓哉)

 

 

腐った臭いの殺戮:限りなく透明に近いブルー 村上龍

講談社文庫   1978年

 

2009年に新装版になったのを拝読した。でも、

 

この装丁、色が濃いブルーで全然透明に近いブ

 

ルーじゃないじゃないか。

 

高校一年の時に読んで衝撃を受け、以来、二十年

 

余り龍氏を追い掛けることとなった端緒の本だ。

 

女の子は大抵、吐き気がすると言うようだが、

 

その肉感的な手書きで書かれた生の描写はたじろ

 

がざるを得ない。が、ぼくは男なので、我慢して

 

読む。

 

ゲボを吐く描写が多く、けっこう吐いている。

 

腐った匂いはページを覆い尽くし、本から巨大な

 

鳥が飛び立ち、小さな人々を啄(ついば)んで、

 

ぶちゅっと殺していくのだろう。

 

ぼくは好きなものを忘れそうになる時があるのだが、

 

そういう時に必ずこういう好みの本と出会うよう運命

 

づけられているようである。

 

(読了日 2025年3・1(土)13:16)

               (鶴岡 卓哉)

 

 

古本屋の出会う珍事件:猫の縁談 出久根達郎

中公文庫 1991年

 

短編集「猫の縁談」表題作。猫のじいさんと云う

 

猫を引き取ってくれ、蔵書と一緒に、というじい

 

さんが巻き起こす騒動を描いた短編。

 

珍しい棟方志功の本と引き換えに猫の面倒を見てくれ、

 

と云い出し、その果ては、その猫じいさんは泥棒で、

 

その猫に餌をやりに来るがてら泥棒していくと云う。

 

いろいろ問題の多いじいさんだが、最後は死んでしまう。

 

ぼくだったら、鼻から相手にしないので、出久根さんは

 

優しい人なのだろうなあ、と思った。でも、これは多分

 

創作である。

 

(2024年12月最後の読了本

         12・29(日)22:45)

               (鶴岡 卓哉)    

 

 

ナルコレプシー的混沌による短編:復活 色川武大

「虫喰い仙次」所収。   1986年

 

こういう短編は、一気読みしたほうが正解

 

なようだ。虫喰いみたいに読んだせいで、

 

元々解らない文章が一層分からなくなっ

 

てしまったようだ。

 

どうやら、祖父が生き返った幻覚が視えていて、

 

それがどうやら威張ったりするようだ。

 

ただ庭を掘り返す様は、石井ショウゴ(ショウゴ

 

・漢字分からず)監督の昔、テレビ東京の深夜で

 

よくやっていた映画、「逆噴射家族」を彷彿とさ

 

せるな、と思った。

 

もしかしたら、モチーフのひとつになっている

 

のかも知れぬ、いや、違うか。

 

だから、幻覚の夢と現実が入り混じり混沌として

 

一種のカオスとなって、ひとつの作品を形成し

 

てゆくことになる。

 

色川氏のナルコレプシーの症状さながらに。

 

(読了日 2024年12・25(水)18:10)

                (鶴岡 卓哉)

 

文豪による実体験、あるいは、創作的虚偽?:野火 大岡昇平

こういう古い本をディグってると、やはり、

 

大きな発見がある。それは、人生と云う歴史

 

であり、それは、決して見逃せないものだ。

 

ぼくは、文章修行だと思って、このブログ

 

を運営しているが、と云っても、ただ、ア

 

ップしているだけだが。

 

今日のお作品はとても古いですよ。そ

 

して、未だに読み継がれている伝説的な作品

 

です。

 

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野火 新潮文庫   昭和二十七年

 

これは多分に、創作が入っているのだな、と思った

 

のは、大岡氏の戦後の動向で、愛人を囲ったりして、

 

妻が自殺したりしていることにある、と云える。

 

所謂、昭和の文豪クソ野郎である。

 

本書はもの凄い作品である。力強いし、作品として、

 

伝説になっている通り秀でている。或る意味、詩的だし、

 

文章が立体的で際立っていると云える。特に、彷徨し

 

ているラストの部分などは一読に値する。これだけ読むと

 

体験していないと描き得ないのではないか、と思い、ぼくも

 

実体験から描いたのではないか、疑いの余地のないところ

 

では、と一瞬信じたが、いやいや、この人は狡猾ですよ。

 

一を十にも二十にも膨らませて書ける筆力があるのですよ。

 

人肉を喰えば、狂うと云うから、宗教的、キリスト教

 

着地点も、合理性があり、精神に異常をきたしたと云う

 

ラストも納得がいく。けど、戦争と云うものは本当に

 

恐ろしいものですよ、と心底思った次第。

 

(読了日 2024年12・17(火)17:03)

                 (鶴岡 卓哉)

長崎出身の作家の遺作短編:本盗人 野呂邦暢

「素敵な活字中毒者」所収。 昭和五十三年

 

この野呂氏と云う人は残念なことに43歳で

 

亡くなっている。長崎生まれで、小説にも長崎と云う

 

ワードが出て来る。「草のつるぎ」で芥川賞を受賞さ

 

れている。「草のつるぎ」は読了済み。この短編は

 

野性時代」に発表。「愛についてのデッサン」に

 

収録されていると云う。

 

この短編の主人公は古本屋の主人で、盗難に悩まされ

 

ている。それもすごく高価な本だ。赤いブレザーを着た

 

女の子が三日間入り浸り、最後の日に来た後に、「方丈記

 

が棚に戻されていた。郵便局で会い、他の三冊も送ろうとし

 

たところに出くわしたのだ。本人ではなく、男友達がしたこと

 

だろう。その男友達に激しい嫉妬を感じる啓介であった。

 

うーん、この本、ハズレなしかあ、さすがシーナさん、いい

 

短編ばかりである。

 

(読了日 2024年12・1(日)23:45)

                (鶴岡 卓哉)

お笑い・考+蜆(しじみ) 梅崎春生

ぼくの考えるとこ、お笑いっていうのものは

 

差別を笑う、っていうのは、定説になっている

 

と思うんだけど。ぼくは差別に嫌悪感を抱いてお

 

り、いまのお笑いのあげあし取りみたいな笑いは

 

あまり好かんね。そういうことがお笑いのひとつ

 

の終焉の原因でもあり、TV界凋落のひとつの根本

 

原因であると思う。

 

そういうぼくはかなりのTVウオッチャーであり、

 

ハハも亡くなった祖母もすごくTVは好きでしたね。

 

TVとお笑いは切り離せない関係にあるとは思うが、

 

お笑い芸人がいなくてもTVは充分成立しうるとも思

 

うんだけどね。

 

まあ、そんなことをつらつらと考えておったわけですよ。

 

今日は蜆と云う短編の寸評です。

 

蜆(しじみ) 梅崎春生

 

「何を小刻みに動いているんんだ」とその男が話しかける

 

ところから、この短編は形成されていく。

 

そして、その男は外套を要るならやるよ、と主人公に

 

やってしまう。とても寒い夜で、酔いもほどほどに醒めて来

 

ている。度々、男と会うことになるが、男は外套を追い剥ぎ

 

のように奪い取ることになり、こんな話をする、戦中か戦後す

 

ぐの頃か列車に乗っていて、若い女が満員の列車の栓になって

 

いて、あるおっさんが身代わりになり、栓になった。その

 

おっさんは落っこちた、という。ぼくもそこで、声を立てて

 

笑ったのだが、作中の男も腹を捩らせて笑ったと云うのだ。

 

なんかよう分からんが、列車の中の誰もが他人のその不幸を

 

笑ったという。この男は、不幸になった分だけ誰かは幸せ

 

になる、という仮説を立てる。確かにそうかも知れぬ、と

 

単純なぼくも思う。その男の持っていたリュックはとても

 

重く、何度も捨てようと思ったと言うが、家に持って帰った。

 

その男にも妻がおり、大抵、そんな男の妻は不出来だ。

 

夜に、音がしているので、何を舐めているのだ、と寝ている

 

妻に言うと、いや、舐めていない、と言う。その音はリュックに

 

入っている大量の蜆が鳴いていたのだ。

 

それを闇市でか、男は売り払い、ちょっとしたおカネを手にし、

 

それを元手にまた蜆を買って売った帰りに主人公と会い、

 

外套を古物商に売りに行こうと思う、と言う。

 

その外套の釦(ボタン)はその男の祖父の撃った鹿の骨で

 

出来ていて、主人公はそれを失敬したが、子供にしばらく

 

してやってしまい、子供はそれをおはじきに見立て遊んでい

 

たらしいが、最近は見ないと云う。

 

(読了日 2024年11・18(月)21:40)

                  (鶴岡卓哉)